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デザイナーのAiさんに、ジュエリーデザインについて、そしてご自身についてうかがいました。
【インタビュイー:Ai Ichinohe インタビュアー:Michiyo Yoshinari】
_2006年にOLJEIを立ち上げられたAiさんですが、ものづくりのルーツはお母さまからとのこと。そんなお母さまとのエピソードを教えてください。
母は、人形作り、陶芸、絵画、刺繍、かご作りなど、あらゆるアート教室に通っていました。
幼稚園に入るか入らないかの幼少期の私も連れていかれ、母の隣に座って一緒に作っていたそうです。小さかった私は周りのマダムに可愛がられていたそうです。
今でもその記憶があり、知らず知らずのうちに母からモノ作りの楽しさを学んだのだと思っています。
_さて、ブランド名のOLJEIはモンゴル語なのですね。なぜこの言語を選ばれたのですか?
ブランド名を決めるにあたり、造語のような意味のあまりわからないものにしたかったというのと、アジア人なので語源としてアジア圏の言葉を使いたいと思いました。
私の名前が漢字で「和」(アイ)と書くのですが、この「和」に近い意味を探していくうちに、モンゴル語のOLJEIにたどり着きました。意味が【幸せ、平和】ということで、まさにピッタリ!これしかない!と決めました。発音はオルジェイで、ヨーロッパのような響きに感じ、そこも気に入っています。
_ここからは、デザイナーのお仕事について。
デザインのアイデアは、どのような時に浮かんできますでしょうか?また、デザインする時に大切にしていることはありますか?
アイデアは、日常のふとした時ですね。天気の良い日に街をお散歩しているとき、よく浮かんできます。
デザインは、美しいこと、使い勝手に無理がないこと、を大切にしています。
_これまで様々なデザインを発表されていますが、中でもAiさんの思い出深いジュエリーを教えてください。
やはり、最初に作った「オルジェイリング」ですね。
丸い線を曲げて、切って、石をはめ込む。
シンプルで、難しくて、美しい。と思っています。
_OLJEIのジュエリーは、ユニセックスだなと思うものがあります。メンズライン考えていらっしゃいますか?
2018年頃、海外展開の際にメンズラインを作りました。ただ、もともとユニセックスで使えるデザインが多かったので、現在はサイズ展開でカバーしています。
_デザインから始まりジュエリーが完成するまでの過程で、Aiさんが一番好きな工程はどこでしょうか?
新作を製品として仕上げて、洗って乾かして。さあ、いよいよ完成!となった時が一番ワクワクしますね。
_コロナ禍でこれまでの日常が変わってきた今、少しプライベートなこともお聞きしたいです。
ご自身のリラックスタイムは、何をされていますか?
今は、育児、仕事、家庭があるので、とにかく静かに何をするでもなく。
家でゆっくり過ごすのが、今の私にとって一番のリラックスです。
_何をやってもうまくいかないな、という時が誰しもあるかと思います。そんな時、Aiさんはどうしていますか?
ひとまずお休みします。しっかり休息をとって。
再び気が向けば、やれば良いし、気が向かなければ他の新しいことをやります。
_今まで訪れた中で、一番印象に残っている国がありましたら教えてください。
2000年に訪れたニューヨークです。刺激しかありませんでした。
_アートとジュエリーの融合をテーマにされていますが、好きな・影響を受けたアートをお聞かせください。
90年代のニューヨークカルチャーが大好きです。
音楽、グラフィック、ストリートなど、魅力溢れるものばかりです。
Designer : Ai Ichinohe
_最後に、今後展開していきたいNewジュエリーがありましたらお聞かせください。
ジュエリーという一つのカテゴリーにとらわれないクリエイティブなことを、もっと自由な考えで発展させたいと思っています。
Profile
Jewelry Designer / Ai Ichinohe
‣東京生まれ。
‣短期大学在学中にアクセサリー販売職を経験し、卒業後ジュエリー専門学校へ入学。
‣専門学校卒業後、宝飾品・ジュエリー製造会社へ入社。国産大手ブランドの原型師として働き、国内外ハイジュエリーの企画・デザイン・作成など幅広く担当。
‣その後独立し、企業デザイナー、宝飾専門学校の非常勤講師、アート集団NOTE(建築・ジュエリー・プロダクトのデザイナー集団)への参加など、ジュエリー以外へと視野を広める。
‣2006年、アートとジュエリーの融合をテーマにジュエリーブランド”OLJEI”を立ち上げる。世界のカルチャーが融合した東京で、独特の世界観を携えて、ハイジュエリー作成現場での経験を活かした長く愛されるジュエリー作りを目指す。